はじめまして。代表の高木です。当社は、【会社とは、人が育つための学校。店舗は、社員が輝くステージ!】 をモットーに、
輸入車販売・カーメンテナンス・リサイクル事業・キッズスクール等、複数事業を展開している会社です。ゆくゆくは、20年で30個の事業を創り、ミニ商社にしたいと考えています。
そのため、好奇心旺盛で、新しいことにチャレンジするのが好きな方をJグループはお待ちしています!
Jグループのホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。代表の高木淳也と申します。
2003年に中古車販売会社を創業し、10年が経ちました。その間、会社としても個人としても、さまざまな喜びと困難を経験し、現在に至っています。このホームページには、そんな中で培ってきた経験と理念を詰め込んでいます。
弊社とのお取引や採用への応募をご検討の方々に、私たちの考え方や人となりをお伝えすることができれば、大変幸いに存じます。ぜひ、ボタンをクリックして、さまざまなページをご覧ください。
1972年2月23日神奈川県綾瀬市で誕生した高木淳也。姉3人、4人姉弟の末っ子として育ちました。20歳で就職した中古車販売店でトップセールスとなり、6年間取締役を務めます。独立したのは31歳の時。さまざまな経験を重ね、成長してきた高木淳也の人となりを知っていただきたく、その言葉を集めました。
始めは力のない主人公がレベルアップしていくのが、ロールプレイングゲームの醍醐味だ。高木の仕事人生は、まさにゲームと同じく、レベル1から始まって苦難のたびに強くなる成長と進化の物語。高木は、Jプランニングで働く社員にも、始めから完成された人格や能力を一切求めない。レベル1からともに戦い、成長する姿を見守りたいのだ。
ガソリンスタンドでのアルバイトに明け暮れていた18〜20歳の頃。1日の食費は150円。食事をカップラーメンにするか、おにぎり1個にするか、悩むほどの貧乏生活だった。そのときに出会った先輩が、「絶対に後輩にお金を払わせない男気のある人」だった。「先輩とは今でも時おり食事をするが、恩返しさせてもらえない」と高木。金の使い方は、彼から学んだという。
21歳の時、高木は前職の中古車販売店に入社する。 就職先の社長はそのとき25歳。ゼロから必死に働いて独立し、5年で店舗数を急拡大させた叩き上げの経営者だった。社長になれるのは、資産や環境にめぐまれたサラブレッドだけだと、漠然と思い込んでいた高木。社長のサクセスストーリーを目の当たりにし、「俺にもできるかも・・・」と思ったのが、独立を目指すきっかけだった。
中古車販売店に入社して3日目、人生で初めて商談に臨んだときのこと。当時の社長に「行けっ!」と促され、右も左も分からないまま展示場のお客様に話しかけた。お客様が見ていたのは、高木も大好きだった「Z31型フェアレディZ 」。同じ車を愛する者同士で話が盛り上がり、いつの間にか契約を獲得した。トップセールスマンへの道を歩き始めた瞬間だ。
お客様にとことん車を体感してもらうのが、セールスマン・高木淳也の信条だ。長距離走行の多いお客様には、休憩や仮眠の快適度が実感できるよう、シートを倒して寝てもらう。家族が同乗するなら、彼らの寝心地も大事だといって、そのまま走ってみることもある。女性とのドライブを楽しみたいお客様の場合、自分が彼女の代わりになって助手席に座る。模擬ドライブをしながら、助手席との話しやすさや音響の良し悪しなど、デートに重要なポイントを一緒に確かめるのだ。